5.若気の至り【中学校①】

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中学校入学当時を思い出すと新しい集団へとぶちこまれる時の、あの不安や期待が入り乱れた感覚が蘇りました。何回かそういった状況は経験しましたが、最もそれが強かったのが、中学校だった気がします。

その理由は、当時は言語化できていませんでしたが、義務教育(公立)が要因となる、最もダイバーシティが高い状態が生み出していたのだと思います。

家庭環境や教養に全く依存することなく、近くの地域ということだけで同年代の子供たちが集まっているからです。とにかく色んな人がいて、基本は腕力(メンタル含)がものを言うカオスな雰囲気でした。読めないことが多くとても面白い場だったと思います。

勉強において僕は遅れをとることはなく、授業態度も良く、ほぼ満成績でした。

ですが、私は途中でグレました。きっかけは忘れましたが、あまりにも皆(クラスや学年)のために動けという先生方からの風潮が強く、嫌になってしまったのだと思います。

グレると言っても優等生が一般的な普通の生徒になっただけだと思ってくれれば概ね正しいです(笑)が、でもその変化があからさまで、もうちょっと違和感のない変わり方があるだろう、、、と当時の僕に言ってやりたいです。今思い出しても恥ずかしい記憶で、いわゆる僕の思春期というやつかと。

そして改めて思うのは、期待という重荷に耐えかねて「普通になろう」とし始めていた時期なのだと思います。他の人と土俵を揃えて、そこで優秀であれば楽に生きられるというのが感覚的にあったのでしょう。それは代替可能で価値の低いことなのに。

思春期だった私はファッションに興味をもち、ファッション雑誌を読んで流行りの服を買ったりしました。初めて美容院にいき髪型を変えてみると、好意を持ってくれる女性が増えたように感じました。ここで私の人生に恋愛という要素が入ってきます。当時携帯を買ってもらいメールを今では考えられないくらいマメにしていました。そんな感じで学年1・2で人気だった子と付き合うこともできました。

ただ、野球ばかりで恋愛をしたことのない真面目クンが突貫のオシャレで身の丈に合わない(正確には合っていないと思い込んでいる)女性と付き合っていたため、すぐ振られてしまいました。女性が何を求めているのかわからなかったのです。

当時は悲しかったですが、今考えるととても良い学びでした。恋愛に限りませんが、相手はあくまで人間であり「見た目は確かに導入段階では大切だが、経験に基づく中身の部分が伴わないと何事も続かない」という当たり前のことを身をもって感じられた事象です。

また、中学校と自宅の距離が小学校よりも遠くなったことで、同級生と馬鹿なことを話しながら帰る時間が増えました。帰り道途中の階段に座りダラダラとボケ合うみたいなしょうもない時間は、僕の中でとても大切な思い出です。社会人になるとそんなことほぼありませんよね。友達はもちろんですが、一見無駄に思えるあの時間は最も価値のあるものの一つだと思います。

最終的には成績も問題なく、後述する野球の成果も相まって、野球の強い進学校(高校)に進学することになるのです。

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