6.本気【中学校②】

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中学校では少年野球のメンバーと共に、野球部に入りました。そこには少年野球の先輩もいましたが、そうでない人もたくさんいました。

先輩方は雰囲気や勢力図が変わっていました。少年野球でレギュラーだった人とそうでない人が入れ替わっていたり、何よりも眉毛がほぼなくなって気性が荒くなっていたように感じました。2年という歳月はすごいと当時思いましたが、それ以上に色んな人がいて、多感な時期である中学校というものがそうさせたのだと思います。最初はマジこえーと思いました。野球部限定の話ではありませんが。

少年野球時代からの延長で先輩方はやはり上手かったです。でも僕の尊敬する先輩達ではなくなっていたのは確かです。(人格等を否定している訳ではありません)

そんな先輩方や熱血先生(監督)の元、4ヵ月間くらい基礎練や下積み的なことに努めました。3年生が引退した後は新チームで僕は即レギュラーとなりました。

ここまでで僕はずっと違和感を感じています。僕が頑張りたかった野球ってこんなんだったっけ?楽しいって思ってた野球ってこんなんだっけ?て感じで。

そんな中、少年野球時代の地域選抜で仲良くなった友人が学校とは関係のない、硬式ボールを使ったクラブチームに入っているという噂をききます。

その子に連絡をとり、話を聞いてみました。そして練習を見に行きました。ナイター設備の下で、めちゃめちゃ身体の大きい選手達が、めちゃめちゃ速い球を投げ、めちゃめちゃ速い打球で打ち返し、めちゃめちゃ正確な守備をしていたのです。本当に衝撃をうけました。

全国大会にも何度か出場しているらしく、プロになって活躍する先輩方もいるようなチームでした。今でも現役で有名なプロ選手が何人もいます。

こんなレベルの高いところで活躍したいと思いました。友人とコーチと軽くプレーしました(多分セレクション的な意味もあったのかな)が、打撃はもう通用すると絶賛された記憶があります。

このことをきっかけに僕は中学の野球部を半年経ったくらいでやめることを決意します。

大したことではないように思いますが、当時の私にとっては相当重い決断でした。先生からの期待、先輩との繋がり、親同士の繋がり、そして何よりも少年野球から苦楽を共にした同級生との繋がりが気がかりでした。それでもやめたのは純粋な野球への想い(向上心)でした。

今でも心苦しく思うくらいです。色々あったのですがその後どうなったかは記述は控えます。

この頃から私は、自分勝手でわがままだったんだなと今改めて思い返しています。死ぬほど負けず嫌いで、挑戦的で、一度決めたら同調圧力など気にせずズカズカ変化してしまうタイプなんだと。

クラブチームの練習はとてもハードなものでした。たぶんその様子をみたらドン引くと思います。高校生とも試合したり、社会人の陸上練習方法なども取り入れ競技場で冬場は走りこんだりと専門的な練習もありました。先輩方やチームメイトの動きを吸収しながら死ぬ気で乗り越えました。

他強豪チームとの試合や有名選手達とのマッチアップはとても刺激になりました。あそこのリーグは本当の意味で野球に向き合っている人ばかりで、環境もとても大切なんだと実感しました。

結果、我々の代でエリア優勝→全国大会にも出場し何回か勝利もあげました。とても有意義な経験をすることができました。

ちなみに僕は足の速さを活かすためと、打撃としても左の方が本質的に有利であることを知り、2年の秋に左打者への転向を実施します。ずっとレギュラーではあったのですが、この転向により打撃が思うように振るわないことがありました。右打者のままだったらもっとこのチームには貢献できていたと思います。全国大会でももっと上にいけたかもしれません。それでも将来を見据えて信じて毎日毎日バットを振り続けました。

最後は先述した高校に入学し、甲子園やプロを目指した野球まみれの学生生活が続くこととなります。

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